大判例

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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)1787号 判決 1974年6月27日

(第一審原告)石井芳美

(第一審被告)国 外一名 訴訟代理人 大内俊身 外一名

主文

(第一、七二七号事件につき)

一  第一審原告の控訴を棄却する。

(第一、七八七号事件につき)

二 原判決主文第一項を取消し、右取消しに係る部分の第一審原告の請求を棄却する。

三 訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一  当裁判所は、第一審刑事判決に対する検察官の控訴は違法であるという点を除くその余の点についての事実の認定および判断は左のとおり訂正、付加するほかはすべて原判決理由説示(一九枚表二行目から一二五枚目裏末行まで)と同一であるからこれを引用する。

但し、五四枚目裏七行目「松岡正宏」を「松岡正広」と、六五枚目裏二行目「持続約」とあるのを「持続的」と、八六枚目表八行目「菊地一衛」を「菊池一衛」と一二五枚目表二行目「後に」以下七行目「しかして」までを「後記のように佐藤第一、第二鑑定に前記のような違法な点がなくても、控訴申立・維持はされたものと認められるし」とそれぞれ訂正し、七一枚目裏八行目から一〇行目にかけて「この省略が直ちに原告に不利な鑑定結果をもたらすとは即断できず」とある部分を削り五四枚目表末行に続いて

4 尤も、レイがこれを便所に投棄したと考えることもできなくはない。すなわち、第一審原告にとつては日出子との想い出多い日誌、手紙類が焼棄されたというのであれば格別、不潔な便所に捨てられるというがごときは、感情的にも堪えられないものがあると考えられるから、レイが第一審原告から殴打されたという一一月一〇日頃か或いは同月二三日第一審原告が日出子にあつたことを聞き、その夜第一審原告が帰宅しなかつたので嫉妬心に燃えて投棄したのを第一審原告が知り、憤激のあまり本件兇行に及んだものと想定することも可能であり、いずれにしても、これが便所の中から発見されたということは、第一審原告に不利な情況的事実の一つと評価しうる。

と付加する。

二  検察官の第一審刑事判決に対する控訴提起の適否について。

この点についての当裁判所の判断は、原審のそれと異なるものであるが、その理由は次のとおりである。

1  原判決一二六枚目表二行目から、裏四行目までを引用する。

2  ところで、検察官の控訴趣意書には、第一審刑事判決に示された判断に対し各項目別に詳細に反論がなされている。

本件の場合情況証拠のほか、有力な物証としての唐鍬の証拠価値が第一、二審の刑事判決において否定されたのであるが、一般的にいつて直接的物証または人証が存しなくても、情況証拠のみによつて犯行を認めることができる場合のあることは勿論である。犯行と被疑者を結びつける直接的事実の証明がなされない場合でも、当該犯人と目される者以外の第三者の行為であると考えられる余地がなく、当該犯入と目される者には、蒐集された証拠から判断して、被害者との特殊な関係およびこれから犯行の動機が推認され、現場の位置模様から作為の跡がうかがわれる第三者の犯行とは考えられず、また犯行発見後における不審な言動があり、兇器あるいは犯行に関係あると思料される物件などの発見された場所の特殊性などの情況的事実が認められるときは、これらの事実を個々的に評価すれば、当該犯人の犯行であると断定するには足りないとしても、これら一連の事実を綜合して合理的に判断すれば、犯行と被疑者間には否定し難い結合関係が認められ、右結合関係を疑わせるに足る反対事実についての証拠は認められないというような場合には、情況証拠のみによつて、検察官が当該被疑者に対し犯責を帰せしめる旨の判定をなしたとしても、その職責上当然許されて然るべきであろう。

ところで、公訴提起が違法と認められないことは、前記引用に係る部分において判示したとおりであるが、検察官の控訴が合理的根拠を欠くか否かを判断するにあたつては、裁判官とは異なる検察官の訴追官としての職責、権能をも考慮しなければならない。すなわち、検察官は社会秩序維持の第一線に立ち、公訴権行使の任に当る唯一の国家機関であるから、その権限の行使は厳正、中立であらねばならないことは当然であるし、裁判所に対する関係においては公訴権行使の正当性を主張、立証する当事者の一方であつて、民事的には原告的立場にあるといえよう。

勿論その際検察官は公益の代表者として、同時に相手方である被告人の人権をも尊重すべきものとしてその衝に当らなければならないが、だからといつて裁判所の判断に対して不満があれば、刑事訴訟法手続上認められた不服申立手続をとることが許されているのであるから、有力な反証が発見されたとかまたは被告人に明白なアリバイ証明があつたとか、あるいは真犯人が検挙され、それが間違いないことが確認されたとかなどの特別の事態が発生したというのであれば格別、検察官が被告人の有罪を立証するために提出した証拠についての価値判断を異にするという理由で無罪判決の言渡しがなされた場合には、控訴審における判断がすべて原審におけるそれと同一であるとは限らないのであるから、新しい証拠を提出しない限り、右判決に対し控訴申立をすることは公訴を提起する場合以上に慎重でなければならないと論ずることは必ずしも相当ではなく、検察官が既に提出した証拠について上級審裁判所の評価、判断を求めて控訴申立をすることは許されて然るべきであろう。

3  本件の場合、結果的には刑事第一、二審とも無罪の判決がなされたが、すでに判示したように、

(イ)  レイと第一審原告とは不和であり、その原因は同人の女性関係、とくにレイの実妹日出子との不倫関係にあつたものと思料され、それが直接殺人の動機と結びつく可能性は全く否定し去ることができないこと(日誌、手紙類の便所投棄をレイがしたものとすれば動機と想定できないものでもないこと、および検察官はこれを第一審原告の犯行隠ぺい行為の一種とみなし、そのような見方も可能であることも前述したとおりである。)。

(ロ)  レイの死体発見直後における第一審原告の言動が不自然であつたこと。

(ハ)  現場における草履、手桶の状態がレイの事故死を偽装したごとくみられること。

(ニ)  井戸蓋の構造からみて事情にくわしいものの犯行の疑の存すること。

(ホ)  レイの負傷の状況からみて、同人が大声をあげて助けを求めうる機会があつたと思料されるのに、していないのは親族その他親しい関係にあつたものではないかと推察できること。

(へ) レイが他の者に殺される理由は全く認められないこと。

(ト)  現場の模様からして行きずりの者の犯行とはみられないこと。

(チ)  第一審原告にはアリバイがなく、犯行の機会は充分考えられること。

(リ)  犯行に使用されたと思料される唐鍬が隠匿されたような状況で発見されたこと。

(ヌ)  その他偽装行為とみられるレインコートの紛失、隠匿したとみられる草履の存在。

などが本件の場合の情況的事実としてあげられ、そのうち(ヌ)については別として、その他については、すでに判示したように、第一審原告に不利な情況的事実として依然払拭去ることができないものであり、これと反対に、有利な情況証拠はなにも存しないのである。

4  そして村上、上野両鑑定人によつてその信憑性につき批難をうけた佐藤第一、第二鑑定によつても福助印ワイシヤツ袖口の血痕の存在は否定し難く、ただ右血痕がいかなる機会に附着したものかが問題にされ、結局犯行時着用していたかどうか確認し難いとして第一審刑事判決がなされたものであり<証拠省略>、唐鍬、焦茶色背広上衣の血痕については、せいぜい「血痕らしきもの」とか「A型血液らしきもの」の附着が認められるという程度に表現することは許されて然るべきであるから前記の如き各情況証拠にあわせて、少くとも唐鍬などの血痕の有無について右のような評価をしたうえ考慮を加えたとすれば、検察官が第一審刑事判決の結果を不満として控訴申立をするにつき合理的根拠を欠くものとはいえない。まして佐藤鑑定の前記のごとき批難は別としても、佐藤証言によるこれが補強を考慮すると(<証拠省略>によれば、第二審刑事判決は必ずしも全面的に佐藤証言を排斥するものではないことが認められる)結果的には第二審刑事判決においても容れられなかつたとはいえ、同判決はその結びの項において、前記のごとき不和、手紙日記、唐鍬、言動不審、擬装行為、第三者の行為と解されないこと、血痕附着の蓋然性、福助印ワイシヤツのA型血痕などの情況的事実の全部を綜合すれば、嫌疑は相当濃厚である(<証拠省略>によれば、第一審刑事判決では「かなりの嫌疑が存する」と表現されていることが認められる)と判示しているほどであるから<証拠省略>、これらの事情をあわせ考慮すると、検察官が第一審刑事判決に対し控訴申立てをしたことを目して違法かつ過失あるものと批難するのはあたらないと解するのが相当である。

三  以上判示したとおり、検察官の公訴提起および控訴申立はいずれも違法とはいえないのであるから、その他の点についても所詮第一審原告の本訴請求は失当として棄却するべきものである。

しかるに検察官の控訴申立は違法であるとして、一部第一審原告の請求を認容した原判決は取消しを免れず、第一審被告の控訴は理由があるが、第一審原告の控訴は理由がない。

よつて訴訟費用の負担につき民訴法九六条八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田嶋重徳 加藤 宏 園部逸夫)

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